五輪書

諸式の道を知ること

道を知るということはどのようなことであろうか。前にこの件に関して書いたときは真理を理解すると書いたが、それで良いのだろうか。まあ良いのだろうが少し掘り下げて考えてみたい。 まずは順番である。この話の前に「諸芸にさわる所」というものがあげられ…

諸式の道を知ること

久しぶりのエントリである。これは3つめの「諸芸にさわる所」とにているが、違う所は何処になるのだろうか。前のものは「やる」という事に目を向けているものだが、こちらは「道」を知るという事に重点を置いている。さわるだけでなく、様々な事柄の真理を…

諸芸にさわる所

物事には得手不得手というものがある。とある技に特化した考え方をしていると、その技が通じにくい場面では技を有しているという心自体がその人にとって枷となる。理想は技を全て離れた所に自分を置く事になる。そんな心境とはどんなものなのだろうか。あえ…

諸芸にさわる所

失敗百選の人が書いていたが、全体を見ると言うことはとても大事な事である。専門家という言葉があるが、その中で閉じてすませる範囲というものがとても狭くなって来ている感じがする。何故、それほど狭くなるかというと、それは自分で時分の範囲をせばめて…

何故、道の鍛錬することの前によこしまに無きことを思ふ事が来ているのか

順番というモノは大事なモノである。では、何故物事を実際に行う鍛錬よりも前に心の問題であるよこしまに無きことをおもふことが来ているのか。これは、心の持ち様を穏やかなモノにすることが、道の鍛錬することよりも重要な事であることを示していると思わ…

諸芸にさわる所

見聞を広げる事ととれる。何事もやってみる事は、良いことであると言うこと。やってみた上でその内容に関して色々と判断する事に意味があるのであろう。また、様々な物事を行うことによって新しい視点を得ることも出来るので、その視点に立って自分が行って…

道の鍛錬する所

月刊になりがちなblogをやっておきながら言うのもなんだが、「道の鍛錬する所」という言葉には継続して行うという事も意味として含まれている。何かをやるためには、その事を繰り返し作業として行う事を要求しているのである。この言葉を実践するために注意…

道の鍛錬する所

以前にも書いていたが、なにか物事をやるときに言葉を考えて行うと言うことは、とても非効率なモノである。それどころか、何かを考えているという事自体が非効率なモノなのである。鍛錬すると言うことは、その物事を繰り返し行うことで、何も考えずに行える…

道の鍛錬する所

久しぶりの続きだが、いきなり詰まってしまう。書いてみれば当たり前の事ではある。だが、継続して行うことは難しいモノでもある。これは、何事を行うに於いても、唯行えるという状況を創り出すという事が重要になるという事なのではないだろうか。 毎日、毎…

よこしまになき事をおもふ所

第3回目。 考えないで行うと言うことは、言葉も出ないほどに集中することを意味する。全身全霊を以て没頭することを意味しており、たとえ文章を書いている時であっても頭には何も想起しない状態を保つことが重要になる。文章を書いている状態で、頭を使わな…

よこしまになき事をおもふ所

第2回目。 考えることは悪であるという事。多分言いたいこととはまったく外れていってしまっているのだろうが、自分が、題の言葉を考えるとどうしても頭で考えるということを排除しなくてはならないと言うことに最近気付いた。何故、そのように思うようにな…

よこしまになき事をおもふ所

注釈から読み解くと正しい道を考えること、事らしい。よこしまになき事が否定語による正しい事という表現になっている事で、正しいことを考えること と表現しているが考えている内容が何か影響を与えると言うことがあるのだろうか。気分が変わるという意味で…

今日発掘したもの

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