何故、道の鍛錬することの前によこしまに無きことを思ふ事が来ているのか

順番というモノは大事なモノである。では、何故物事を実際に行う鍛錬よりも前に心の問題であるよこしまに無きことをおもふことが来ているのか。これは、心の持ち様を穏やかなモノにすることが、道の鍛錬することよりも重要な事であることを示していると思われる。では何故、実践よりも心の持ちようが大事なのか。それは心を鍛えるという事が、身体を鍛える事よりも重要であるという事を示している。鍛錬というものに関してはそれなりに時間をかければ、やった心持ちにもなれるものだが、心の問題というものは、何かを行っている場合でもそれを離れた事を考える事も出来るものであり、鍛錬に向かっていない心というものをかかえたまま、鍛錬を行うと言うこともまたむいみなものと言えるのであろう。難しい問題ではあるが、心を静かなるものにすることこそ鍛錬の第一歩となるのであろう。