道の鍛錬する所

以前にも書いていたが、なにか物事をやるときに言葉を考えて行うと言うことは、とても非効率なモノである。それどころか、何かを考えているという事自体が非効率なモノなのである。鍛錬すると言うことは、その物事を繰り返し行うことで、何も考えずに行える様になるという事を目指すモノだとも言える。このような方向はあまり良い方向では無いのでは無いかと以前は考えていたのだが、物事の取り組み方を、頭を使わない方向に変えてみて、やり方としては考えながら行うよりも、ずっとしっくり来ると言うことが改めて分かった気がする。
とりとめの内分相になってきたが、鍛錬を行うことによって、見えてくるモノもあるのかと思える。