広告というモノの変遷

オバマ陣営が目指したのは広告に依拠した「空中戦」の概念そのものを解体してしまうことだった。グラスツール(草の根運動のこと――引用者註)は「地上戦」、情報戦は「空中戦」というかつての「キャンペーン二元論」の終焉だ。グラスルーツの実働部隊が、ユーチューブに動画を載せて草の根の「空中戦」をやる。しかも陣営の命令ではなく。そういう時代が始まっている〉

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090129/184296/?P=1で書かれている話。(ここは一定時間過ぎたら?2ページ以降がLogin必要になるので余りブクマとかしたくないが、今日のは面白かったので引用勝link)まあ、ここだけ読んで、小浜陣営が「クチコミ」で勝ったとか言うのは見当外れな話なのだろう。選挙期間中から、小浜対垂れだっけ?えーとまけいんでは、選挙費用がえらい差が有る(勿論小浜が圧倒的に多い)という話は出ていたのだし。ただ、枕として「しかも陣営の命令ではなく。」て言うところが「宣伝にかける費用」って所に結び付くのではと思い持ってきている。
上は極端な部類に入る話なのかもしれないが、お金をかけない「自発的な広告」っていうのは、増えてくるんじゃ無いだろうか。他所を探すこともなく、ここのページでも一つ下のエントリや、一番下なんかはあまり上手いモノではないが「タダの宣伝」に数えることが出来るのではないだろうか。
はてなの場合、これらのリンクからはてなまとめページに飛ぶ事で、もっと良い紹介や直接Amazonのページにも行けるのでそこでも評価を確認する事が出来、つたないながらも宣伝としてはねっと的な動きをしているともいえる。まあ、そこから興味を持った人がどこかでしたのマンガや雑誌を買ったところで私の所には一銭も入らないのだが。(作り手の方がどっかにお金を出してはてなの中やAmazonの中のシステムがそれで運用されているかどうか私は知らない。)
こんな風にモノを宣伝するという事は良い意味でも悪い意味でもお金がかからずにうわさ話として、「自発的に」広がっていく素地が出来てきている。
逆にTVや雑誌でお金をかけてCMをうつっていうのはどう見えるのだろう。TVの方は民法をOn timeで見るという週刊がほとんど無いので、手法にこっているかどうか良く知らないが、HDDレコーダに録画したモノをたまに見る限りスポンサーが出してくる?モノを決められた数だけ、並べて番組と番組の間に流す、ていう形で固定されている様に見受ける。まあ、普通に視聴されている方が気にしていないので有ればどうでも良いことであるが、この流し方って良くてトイレタイムorチャンネルブラウズ時間、悪くすると早くCM空けろのストレス時間になるのでは無いだろうか。だからこそ、HDDレコーダなどではCMスキップなんて機能が有るんだろうし。しかしCMを流してもらうスポンサー様から見たらどうだろうか。良くて無視される、下手するとお客様(スポンサーから見ればTVの視聴者は潜在的な客なのだろう)にケンカ売っている事になるのでは無いか。そんな事に「わざわざお金をかける」ていう選択肢って有るのだろうか。
まあ、だからといってスポンサーが「ネットにお金をかける」って事にはならないのだろうが、広告って言うモノの出し方が変化して行くことにはなるのでは無いか。その中で、TVでの「広告枠」の作り方、もしくは扱い方は変化していくべきモノなのでは無かろうか。
d:id:HALTAN:20090128:p1ここを読んだときから、Link先の「TV大丈夫」論?にちょっと違和感を感じていたので、だらだらとまとめてみた。
後、上記のBlogではTVの持つ「即時性」っていうものの利点を挙げていたが、それってお金を出しているスポンサーにとっても、受け手である視聴者にとっても利点にはならないのでは無いだろうか。スポンサーは「欲している人に必要な情報を」出すことが目的だろうし、視聴者は「見たいときに見たいモノを」見ることが出来れば良いのだろうし。
もう一つ、TVが持っている「コンテンツ」っていうものが基本的に以下で取り上げられている「複製可能なモノ」っていう所にもその「価値」を減じていくと思われる理由があります。詳細は以下Blogを参照ください。
POLAR BEAR BLOG: 2008年にブレイクするコンテンツ=学校の授業?

つまり複製が可能な時代には、複製できないものの価値が上がっていくわけです。

複製可能なモノには、もうお金は集まらない。それを視野に入れて活動をしていくべきでは無いのかな。
最後にもう一つ引用

「物質的なアクセスはなくなりますか?」萌絵は、真賀田女史の話の後半を無視して質問する。
「そうね、おそらく、宝石の様に贅沢品になるでしょう。...後略」

すべてがFになる (講談社ノベルス)

すべてがFになる (講談社ノベルス)

この話が10年以上前に書かれているというのは今思うと凄い事だと思う。