酔っていないけど

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/84910ここで

既存の”ものさし”で物事を測るのは楽なんだよ。考えなくても良いし。そして考えなくても良いという事に重きを置いているのが今の日本社会。アホ量産社会なんだろうな。

てなことを呟いた。そん時は漠然としか感じなかったけど、その後タラタラと考えてきてふと思った事が有るのでここにまとめておく。前にも似た様な事書いた気がするけど、気にしない。
なにも考えずに既存の物差しを使うっていうことは、マニュアルに沿った対応が出来れば良いという事で、これってなんでもマニュアルっていう感じでここ数十年進んできた日本人のお得意戦法なんじゃなかろうか。でも、そういうマニュアルに沿った動きって代替の効くもので、現に言葉が通じる英米では、そういう対応は、インドやらフィリピンやらにとられてしまっているらしい。日本は日本語という割と辺鄙な言葉使っているから言葉に関する問題を解決してそれを安価に済ませましょうとか言う人は少ないかもしれないけど、言葉が出来る人で安価に使える人がそれなりに集められれば、マニュアル作業者って劇的に変質していくんじゃないかな。そういう例ってコンビニなんか観ていると結構もう入り込んできているって感じなのではなかろうか。ま、そこらへんの若い人よりも最近ではよっぽど安心できる接客してくれているからな。今後どんどん増えて行くんじゃなかろうか。どうでも良いけど。
日本の社会的問題っていうと、こういう人たちを増やした事ではなくて、こういう人たちを上から制御する士官的な立場を造ってこなかった事なんじゃなかろうか。数十年前になるけど一億総中流化とか言っていた頃から、頭として手足を動かす立場を造ってこなかなった。その結果が、全員横並びで誰も前に出ようとしない、下手な密告社会よりタチの悪いものが出来上がってきたんじゃ無かろうか。だからどうするかって言うとめんどくさいんだよね。口だけは達者なのが、その辺に掃いて捨てるほど出来上がってるのはさ。も少し下の方を集めて何かやろうとしても、ちょっとうまく行くとケチつける奴らが群がって潰して行っている様にしか見えないしなあ。もう終わりなのかね、この国。