古い記憶を掘り出してみる

http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090813/1250130867とここから派生したhttp://d.hatena.ne.jp/TLW/20090814を読んで。違った形のエントリを考えていたが、とりあえず国語試験の答え方に関して少し書き殴ってみたい。
試験を受けた事があるのが、もう四半世紀くらい前なので今の実情と合うかどうかは分からないが、現代国語の試験というのは、筆者も登場人物も必要なく、問題文と例文のを一定プログラムに食わせれば、自動的に出てくるモノである。(漢字の読み書きは記憶オンリーだが)
〜の×はどういうことか?等といった文章の〜に合う部分を眺めて×がどういう形で書かれているかを抜き出して、提携文章を作れば回答ができあがるといった代物であり、普通の文章読解能力なんてモノはカケラも必要ない存在である。ましてや、記憶に頼るなんてことをしているようでは、「見たこと有る問題は解けるけど、見たこと無い問題ではカラキシ駄目」と言った事になってしまう。
まあ、こんな事が出来ても作者が何を書きたいのか、登場人物がいる作品において、その人物の葛藤をどの様に感じ取るかなんて事はカケラも能力Upしたりしないんだけどね。
英語を6年間習っても、英会話が出来るわけでもなく、英語の読みはそれなりでも、文章を作れる様になるわけでも無いって言うのは、何も英語に限った事ではなく、モノの教え方として「そういう能力」を磨いている訳では無いという点において、国語と変わらない理由が有るからだと思う。
まあ、英語にしろ国語にしろ「本当に必要とされるモノ」の切れ端に触れるという意味くらいしか高校までの勉強では必要とされていないんじゃないかな。それが大学に入ってどう変わるかという点に関しては、真面目に勉強していなかったので何ともいえないけど。そこでもちょっと話が専門的になったくらいで、やっていることは変わらなかった様に思うなあ。