国籍の問題

ここ最近のスタイルとしてはこの記事を上に持って行く事になるのだが、今日のタイトルからすると少し合わないのでこちらを下に持ってきた。
はてなブックマーク - それを決める権利は,われわれにはない - Danas je lep dan.

個人の思いと、国家の決め事と噛み合わない論理をぶつけているだけ。日本では国内で生まれ育ったというだけでは国籍は発生しない。

と書いたら、

k3alt id:aiaki だったら出生地主義にすればよくね?

というつっこみをid:k3alt氏より頂いた。出生地主義として国籍を扱っている国と言えば、米国がまず思い浮かぶが、あの国でも似たような問題が数年前に起きていた。ブクマとかに残っていないので、2世がいる不法移民の強制退去の話は探せなかったが、議論が大きかったのは3年前くらいの模様。米上院、包括的移民制度改革法案を再度否決 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News記事が旧いので、可決されたのか否決されたのか良く分からない状況だが、多すぎて議論はされていた模様。メキシコとの国境に大きな壁を創っていたのもこの頃だったはず。まあ、制度がどうあれ国籍に関してはしこりを残す問題が起きるのでは無いだろうか。
自国で生まれた人に対して無制限で国籍を与えているアメリカだが、その壮大な実験とも呼ぶべき政策により、色々な問題が起きている様に見受ける。一番最たるモノが言葉の問題。上の記事が踊っていた頃、アメリカ国歌をスペイン語版で流していたっけなあと思い探したら以下のような記事が有った。http://d.hatena.ne.jp/anhelo/20061130/p2ここに紹介されていたyoutube動画を拝借しておく。

国籍を生まれたところで決めるというのも面白い手法では有るのだろうが、元記事の一家の様に日本語がぺらぺらで生まれた国の言葉も習慣も知りませんという人もいれば、居着いたところでコロニーを作って自分たちの文化を広げてしまう人たちもいるわけである。まあ、どちらも悪い事では無いのだろうけれども、選択する結果に寄って起こりうる未来の一つの形を見てそれを選ぶべきかどうかという事も考えた方が良いのでは無いだろうか。
私個人としては、今の制度上は残れないのが筋であり、国籍を付与するにせよ、居住を認めるだけにせよ、場合に有った議論を行った上で制度を変えるというのはやってみるのも面白いんじゃね?程度の感覚である。
国籍の問題というのは、今後の国の形を決める大きな問題にもなる国の根幹に関わる話だから、目の前の一時をみて、感情で言葉を紡ぐのは余りよろしくないことのでは無いかと思う。他所の人を受け入れる度量のある国って言うのもそれなりに魅力では有るのだが、アメリカだけでなくヨーロッパなどでも、アフリカなどから押しかけてくる移民の数に辟易しているという事も有るので、議論するにしても冷静に判断していくことも必要なのではないだろうか。

ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉

ローマ人の物語 (15) ローマ世界の終焉

蛇足になるが、最近の移民問題に関して感じていることとして上の本を貼っておく。ローマに対するゲルマン民族の大移動というモノが、1000年以上前に起こっていたのだが、ここまで過激では無いにしろ現在の人の移動というモノは、Outbreakに近いモノを感じてしまう。表現がまずいし比喩として非道い事も認識した上で書いているのだが、激しいモノになるにせよ穏やかに進むにせよ、疲弊してきている現在の先進国に対して若い活力を吹き込むという意味で、多くの人が流れ込んでくる事になるのだろう。それらの人が、次代の世界を担う新しい形を作り出していくのでは無いのだろうか。
出来れば、その中に今の日本的な匂いというモノが残っていると嬉しいのだがなあ。
グダグダと長くなってしまったが、まあなるようにしかならないかというのをオチの言葉として残しておきたい。