日本には「レベルアップ」というキャリアパスが少ない

米の国が特殊なのかもしれないが、あの国では、小さな会社なり運動なりを振り出しにして、そこでの実績を元に同じ職種の「良い環境」に移っていくというキャリアパスが出来ている。そのようなパスがあるからこそ、職に対する流動性が有るのだと思う。逆に言うと、キャリアパスの上位職種というモノにはそれほどぽっと出のルーキーというモノはほとんどいないのだろう。
日本の場合は、そういう職種変更ということはほとんどあり得ず、入った会社でそのまま働き続けている。これって何の差なのかというと、単純に人を「判断する基準」ていうものが何処でも確立されていない事が問題なのであろう。少し前に書いたコード量や、会社にいる時間で測る場合が有るという話判断基準が曖昧 - 蜈蚣さんの歩き方 〜邪に無きことを思ふこと〜をエントリしたが、その手の事でしか測れないから人を見る目が養えないのであろう。
では、なにで測るのかということになるが、それこそ「何を生み出したか」という結果/成果でみるしか無いのではないか。世の中全ての人が、成果を出せる職場にいるわけでは無かろうが、キャリアパスとしてそのような道を選んだとすれば、それはそそれでしかたの無いところも有るし、測る側も間接職の能力に関しては、相手のキャリアパスにおけるその職場の間接的な状況から見なくてはいけないのかもしれないが、キャリアパスの実績としては成果で見るのが一番なのであろう。
後は、ぶっつけ話になるが、雇う側が実際に見て判断するしか無いのだろうか。その当たりは難しい話だが、その手のモノの見方という事を養っていくこともキャリアパスの一つになるのでは無かろうか。
まあ、仕事人生をとっくに折り返しているので余り興味があるわけではないが、仕事に関して少し思うことが有ったのでだらだらと書き殴ってみた。もう少しまとめてから再度何か書いてみるかもしれない。
蛇足になるが、レベルアップというパスが少ないため日本の会社では「クラスチェンジ」っていうものを求められる。これが又変な話で、技術系ならば、ゴリゴリ技術屋さんやっていた人が、ある日突然、「これからはマネジよろ!」とか言って、複数のプロジェクトの子守をやらせたりするのである。クシャナ殿下の嘆きの言葉が聞こえてきそうな話である。