ドレになるんだろ?

世界が第二の焚書時代を迎えた6つの理由ここを読んでいて思った事。電子化に対するアレルギを持った御仁が結構居るようだけど、紙の本てオリジナルはどの程度の古さで残っているのかねぇ。精々三けた年のオーダでしかも若い方じゃぁないかと思うんだがなぁ。ソレが永久品質云々とか言い出すのはどうなんだろ。
歴史は結構長くさかのぼれては居るけれどソレも、後代の人がキチンと拾い直すなどして残しておいたからで、そのままの形で残っているものってわずかしか無いんじゃぁ無いかな。

逆に、コレは後代まで残しておこうって思う文書ってどんくらいあるんだろ。相対性理論のおっさんにだって、可愛い女の子と過ごす時間は云々とかいう論文が有るとかいう話だし、元のまま残す意味って何なんだろ?って思うよ。マジで。日本で紙に残されている文書なんて、ここのblogと同じくらいの早さで陳腐化して残っていても読む価値無しっていう事になって行ってるん出しさ。

まあ、現代がon goingな形で紙の本に埋もれている状況である事を考えればソコから違う所に行く事には抵抗を感じるのかもしれないけど、紙の本があふれ返っていた時代っていうのが、特異な現象だったと歴史が証明してくれるかもしれないし、その過渡期に生きていたんだと考えるとそれはソレで面白い所を観れたものだと思うのだけれどなぁ。

こんな、ジェットコースタな時代で無くても「最近の若い者は」って言葉が吐かれるらしいし、ジェットコースタな時代とか書いている現代が、少し先の未来からするとあの時代は牧歌的でしたなぁと振り返られるモンキー時代になるのかもしれないから、歴史っていうのはそういう意味では面白いのかもしれませんなぁ。