消えてる米が面白い

http://alfalfalfa.com/archives/1935460.html#ここのコメントを延々読んでいたが、ペケを付けられてる物が結構面白い。その中でどっかに一次ソースに関する言及が有ったのだが、(見つけられなかった、後で有ったら引用しておく)マスコミって自分たちで何かを言及し出すって事をしていないんだから基本一次では無いんだよね、って言うことを再度言っておこうと思った。
ネットが蔓延る前は、おおっぴらに情報を流そうとするとマスコミにお願いするしか無かったのだが、今は自分達で、それ相応の所においておけば、後は勝手に拾っていく人たちが居る。
ググる様なんてその最たるもので、全ての情報を年中無休で拾い集めてそれを探している人たちに提供している。そういう情報を出す口としてマスコミって言うのは単なる中間搾取の情報卸元でしか無いわけだ。
そしてマスコミの中の人から見れば当然すぎて目がいっていない事なのかも知れないけど、彼らに課せられている、紙面や放送時間と言った制限項目はネット上では存在しない。お金の問題が出るかも知れないけど、Blogにしろ、youtubeにしろお金かけずに情報を垂れ流す所は幾らでも有るわけで、ソコと既存の枠組みでケンカ仕様としても勝てるわけが無いんである。本気で闘うには規模も兵隊数も負けて居るんだから。
ソコで出てくるのが、”質”に関する言及だけど、コレってある程度を過ぎるとその差分って意味が無くなるんだよね。技術的な話でしかないけど、CDがMP3に置き換わっていったとき、情報の総量としてはCDが圧倒的に多かったのに対して、MP3の利点って取り扱い易さだけだった訳だけど、結果として世の中を牛耳ったのは圧縮データだったわけだ。ある程度までいった質って言うのは万人から観て差異のないものであり、ソコで問題になるのは、質の善し悪しでなく、取り扱いやすさとか、親しみやすさと言った別の物差しになるわけだ。
まあ、その物差しで圧倒的にマスコミが負けているかどうかは不明だけど、日露戦争戦勝国となった事を煽った時代から、マスコミの中の人レベルってそんなに高く無かったんじゃ無いかなと言うのが自分の感覚なので、今更質の高い言論とか言われると失笑してしまうレベルなんだけどね。ま、何処まで残る物なのかそれなりにwatchして逝こうとと思います。まる