日本発のものがガラパゴス化する訳

Life is beautiful: ガラパゴス・ケータイと「政府の役割」とココの内容を読んでいてフト思ったこと。日本の物作りって、こんな事もあろうかとってのに毒されて居るんじゃ無いかと思う。アレって実は無能の考え方で、本来的な方向からすれば問題が出たところに対してアリモノで対応するって方向性を模索することが重要なんじゃ無いかと感じている。
尖っている訳では無いけど、方向性を強く打ち出しすぎると特定の使い方とかアル思い入れを持った人には触りづらい感じがするのだろうが、方向性が見えている削減で有れば使っていくことでその方向性に体がなじんでいってしまうといった最適化が為されるのでは無いだろうか。
そういう意味でWinやAndroidはSoftだけ創ったひとと、入れ物を造る人が意志の疎通もせずに造り挙げるものだから、どちら側から見ても”アレもコレも”となってしまい、面白味の無いものに仕上がっていくのであろう。