色々なものの未来

文章を書くこと。CDを創るということ。これらは、聴衆に対して話すこと、音楽を演奏することの代替品である。文章を書くと言うことは石と彫刻刀が存在した古来から有るモノだが、音楽に関してはエジソンの発明に端を発する比較的新しいアイテムを使用している。しかし、どちらを使用するにしてもそこには「情報の劣化」というものがつきまとう。もしも劣化が発生しない保存方法というモノが有ればそれはそれでたいした物なのだろうが、物事を「切り出す」という作業をすることで、情報は確実に「劣化」する。そのことを考えた場合、今の「複製」がいとも簡単にできる様になったと言うことは、逆に+の面も有るはずである。劣化した「情報」をいとも簡単に不特定多数の人に配布することが出来るのだから。この場合、財を生み出す所はその劣化した「情報」を作り出した「人間」という事になるのである。編集、プロデューサ、デスク等という色々な中間管理的存在がこれまで生み出されてきているが、これからはそのような存在はむしろ「手抜かれていく」べき存在という事になるのでは無いだろうか。やらなくて良いことはやらない、やるべき事は簡潔にとか言っているお話もあるが、今期の名人戦の様な正統派同士の手抜き合戦というべきことが、今後の世界を支配していく道なのかもしれない。