善人尚もて往生す

況や悪人をや。っていう話があった。誰が言ったか思い出せないが、今日の最初のエントリを観ていて思い出した。
何が言いたいかというと、失敗をしてみようという言葉の単なる補足である。ルターが、免罪符を攻撃したのと同じように、善人の話も考えてみれば当然のことを言っただけの話なのだということである。つまり自分から観ても失敗するであろうということをあえてやってみようという話ではなく、「なんで、これがダメといわれているのか分からない」ということに踏み込んで観てはどうかという話である。
もし、それが自分の思い違いで手痛いしっぺ返しを食らうようで有れば、自分の見え方がおかしいのであり、言われているようなしっぺ返しを食らうことなく進めるのであれば、それはそれでダメといわれていたことが、迷信のようなもので有ったのだろうと言うことである。迷信とは限らないのかもしれないが、世の中には旧い世代では普通にダメだったモノが、色々と変化のあったせいでダメでは無くなっているモノという事がそこここに転がっているモノなのだから。
その変化というモノによって、「古き良きモノ」が、絶滅することになったとしてもそれはそれで一つの進化の形なのでは無いだろうか?