失敗に関して

昨日少し書いたが、失敗をするという事の一つの方向性として思い出した事が有るのでそれについて書いておく。
将棋世界のどれかだったと思うが、谷川さんが、羽生さんに対して昔の対局に関して二手目32金という手を指された事に関して何でそんな事をしたのでしょうという質問をしている話がのっていた。将棋の手に関しては、よく分からないのだが、この手は大分悪いてらしく、実際谷川さんも、このときはきっちりと咎めて短手数この将棋には勝ったらしいのだが、何か試されていたという感じがして、随分昔の話ですしという前置きをおいて質問されていたはずである。
それに対する羽生さんの答えが、「悪い手だと言う話は良く聞いていたが、どれだけ悪い手かよく分からなかったので」という感じだったと思う。その後に続けて、「どれだけ悪いかよく分かったのでもうやりません」とも言われていたようだが。
こんな感じで「これはダメ」と言われていることに関して、ドンだけダメなんだろうとか、本当にダメなんだろうかという考え方を持つっていう事は凄く大事な事なんじゃ無いだろうか。誰かが何何と言っていますとか、こう言われているからそれに従おうとか言う考え方では進歩するなんて事は覚束ないのでは無いだろうか。
確かに上の例のようにだめなモノはダメという結果が出ることが大半であろう。しかしその場合でもドンだけダメなのかという事を体感すると言うことは得難い事なのでは無いだろうか。
似たような話はアニメーション監督の谷口悟朗さんでも有って、監督になる前の一演出次代に、監督の意図とどれだけ外れた演出まで出来るだろうかという様なことをやってえらく怒られたということを何処かで話されていた。それがどの様な実になっているのかは定かでは無いが、そういうことをやっている人もいるんだという事で今回は終わりにしておく。
他こんな話もある。64手目 6四角打 - 蜈蚣さんの歩き方 〜邪に無きことを思ふこと〜参考まで。