始めの一歩

ちょっと前に英語の授業を英語でやろうという話がどっかから出ていて、教師の人が「正直無理」とかいう回答が帰ってきていたりしていたが、そんなに面倒な事なのかなと少し思った。言葉なんて言うのは慣れの問題だし、英語しゃべることが出来る人の人口の中で、英語しかしゃべれない人って過半数を割ってきているっていう話も有るし、英語しかしゃべれない人を相手にするので無ければ、イントネーションや細かな発音も手探りで進められるし。正直表現能力に多寡は有るだろうけど、英語しかしゃべれない人で無ければ似たり寄ったりのしゃべり方は出来るモンだと思うんだがな。英語しかしゃべれない人の相手は正直大変なもんだが。
で題に関してだが、ぐちゃぐちゃ考えないでやってみるというのも手なのでは無いかなあ事を考えていた次第、だったんだが、学校の授業ってカリキュラムというか程度が横並びにされているからそのあたりで差が出るのはまずいってことになるのかなあ。でも会話で使用する単語って一番偏りが出るモノなのでは無いだろうか。何処でも通じていると思う言葉っていうのが案外その学校だけでしか通じなかったり。それでなくても地方毎でそれなりに方言って言うモノが出てくるんだから、英語を使用したからってみんなが同じ言葉を同じようにしゃべる様になるって言う方がかえって不自然なのではないかなあ。この取り組み方からすると、教師単位で方言が発生するのが普通なのではないかな。それは英会話スクールなんかで英語会話を習いましたっていう場合でも普通に発生しているもんだいなのでは無いのかな。