The great agitator

先日「ジャーナリズム」ではてなのリンクをたどって以下のBlogにたどり着いた。
2008-08-24
そこで紹介されていたのが次の本

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書)

上記Blogでは記者クラブ憎し、という風に書かれていたが読んだ感じとしては笑える方向でまとめられた話に感じられた。随所にちりばめられた取材をじゃまする記者の言い分というモノがどれも斜め上な表現が用いられており、もう笑うしかないなあという感じに仕上げられていた。
又、今月に入って色々と報道関連のネタを漁って来ていたが、その中で感じていた違和感というモノに関して端的に指摘されている様に感じられる表現が有ったので、そこを引用しておく。

p27より
一方で、日本の記者の多くはいまだに「客観報道」を標榜している。権力が発表したものを「客観だ」とする感性は論外だが、真剣に「うちの新聞は客観的だ」と信じている記者が多いのには驚きを禁じ得ない。

ここでは、書いている方が「客観的に報道している」と思っているという話になっているが、これは受け手側にもいえる事ではないか。
人が書いているものなのだから、その人の意見が入ってくるのは仕方の無いこととして受け手側はそのことを念頭に置いて人の流す情報というモノを受け取る癖をつけていかねばならないのでは無いかなと感じた。
報道する側の姿勢というモノは、まあおいておくとしてそれに慣れてしまう情報を流す側の対応方法として、それなりに外部ジャーナリズムとも接触を持つことは有意義なのでは無いかなと感じた。そのことによって、目先の不利益を被る事は有るかもしれないが、対応方法を経験すると言うことは、今後の社会活動において生きてくる事になるであろうと感じさせられるモノだった。