生産者もチェックすべし

第48回:コンテンツ産業の真の敵: 無名の一知財政策ウォッチャーの独言権利者団体が「Culture First」宣言、文化保護で補償金の拡大求めるこの辺を見ていて思いついたネタ。コンテンツというか、情報という物は、時間がたてば腐る。たとえ物としての違いが見えなくても、いつ手に入れたかによってその価値は格段に変わってくる。そのような物を同じ入れ物に入れたからといって、同じ値段で売ろうというのはどうなのかと思う。たとえば、創った人の差異はとりあえず無視したとしても、発表当初ではそれなりの値段になったとしても時がたつにつれて、値段はそれなりに安くなっていくという売り方という物はできない物なのか。それにプラスアルファで生産者補正などを組み込めば、情報を出す方も出しやすく、利用する方も個別の応援という形がとりやすいのではないだろうか。

入れ物は無形

コンテンツの縛りが無くなったもう一つの長所。Podcastingなどを聴いていると少しは変化してきているのかなとも思うが、コンテンツのサイズ縛りという物が外れたものがもっと増えても良いのではないか。フォローしているわけでは無いのですでに存在しているのかもしれないが、10秒の初音ミクソングとか、壮絶な長さ(ロード全部みたいな?)物とかももっと創られても良いのではないだろうか。初音ミク575とかも面白いのかもしれない。サウンドブックなんかも読ませてみると面白いのかもしれない。(すでに有りますというのであればすいませんとしかいいようがないが。)