水鳥が優雅だという幻想

はてなハイク サービス終了のお知らせこのハイクにあるまじき長い呟きをみて、まず思いついたのが、本日の題。内容と関係ありゃしねえ。近くにある池で佇んでいる水鳥をタマに観に行くのだが、あいつら忙しなく尻振りながら水を掻いていてとても優雅という感じじゃ無いんだがなあ。結構かわいらしいと言ったほうが良い気がする。
で、ネタに関してに近づくんだけど、今回の自分のように人って自分のみたいモノダケを観るモノだよなあ、ってこと。それは観る対象の事をナンにも考えていないそれこそ主観的なモノなんだよなあ、っていう事を感じた。だからそこで褒められたら内容の説明なんてしないで、欲していると思われる答えを出しておくのが必要になるんだろう。何でそんな事まで考えなきゃ逝けないのか分からないけど。
全く関係の無い話になってしまうが、とある所でバザールの様に建て増しをした状態で構成されているモノってそこの場に外から来た人が見るととっても不思議な風習が沢山有るのだろうと思う。何が言いたいか分からない話になってきているが気にせず続けると、あるAと言うものが有る状態に対して問題が出たからBを着けました,,,ていうのが延々続いてくるとそこに壮麗なモノが出来上がっていて、それはそれなりに機能していることはしているのだが、ハタから観ているとなんで「ア」ってものを新しく作らないんだろ?ってなる場合が良くあるんじゃ無いだろうか。だけど元からいる人はそういうことを言われても、云々カンヌンと元のモノを擁護していくと言う事が割と有るように感じる。中にいる人から見れば、少しの変更を加えれば未だ保つっていう思考なのだろうけど、何も知らないで観ると沢山の余剰部品が目についてとっても気持ち悪い機構に見えてしまうって事が有るんじゃ無いだろうか。
何の事という訳では無いのだが、上のハイク文章を眺めているウチにえらい遠いところまで妄想が膨らんでしまった。まあ、そんな話を思いついたので、ダラダラと書きつづってみたダケです。
「技術立国ニッポンの虚像が露呈した」 | 日経 xTECH(クロステック)最終的にこっちにつながりそうな話になってしまったので一応貼っておく。