高速道路の功罪

最近フト思ったのだが、よく言われている「知の高速道路」って結局そこら辺にあふれかえっている「マニュアル本」みたいなモノとどこか違うところがあるのだろうか。そこで知識を得ることが出来れば誰にでもそこそこの結果を出すことが出来る方式としてそれなりに意味のあるモノなのかもしれないが、そこを通る事ってどの程度のおもしろさがアルのだろう。知の高速道路でも、マニュアル本でもどちらでも良いが、そこに書かれてある「コレやっちゃ駄目」って事って一体どの程度「やっちゃ駄目」なんだろう。規定の理由が分かればそれに手を出すか出さないか判断出来るかもしれないけど、理由まで懇切丁寧に説明してあるモノなのかな。
書いている内にまとまらなくなってきたが書き出しに言いたかった事は一つだけ。も少し失敗するってことにバリアを下げても良いんじゃ無いかと思う。失敗してがらがらと崩れ去るモノはけっこうな大きさに育ってきているかもしれないが、まあ自分だけの力でそこまで大きくなったわけでも無いものはあまり気負わずどんどん失敗しても良いのでは無いかなあ。そこから始まる何かもまたあるのだろうから。

エントリを書いていて気になったのだが、マニュアル本ていうのは何処の国、何処の文化でも存在するモノなのかな。アルならアルで読んでみたいし、無いところが有ればそのようなモノの存在ってどう思うのか知りたいなあ。