日本的魔改造

d:id:michikaifu:20090603:1244052161 を読んで。知識が普く行き渡るセカイでエリート論を打たれて、少し違和感を感じた。そしてエリートと今の日本の有り様を対比させたとき、禅宗の六祖誕生の逸話を思い出した。五代目の人が次を選ぶのに「悟りに関して思うところを書いてみなさい」的な事を言ったところ、一番弟子のエリートさんと字が読めずにエリートの書いた文章を他人に読んでもらった人の文章が出されたそうだ。結果、五代目は文盲の方を選び、怒ったエリートは、文字も読めない様な奴を追い出してしまい、勝手に次代を名乗ったそうだ。(うろ覚えの主観的な文章です。)で、その文字も読めない人が開いた禅宗が日本に入ってきているていう話らしい。
上の六代目選定話は中国での事であるが、禅宗として日本に根付いたのは文盲なほうで有ったと言うことはとても幸運だったのかもしれない。修行だ、おつとめだ、なんだかんだとうるさいことを言わずとも、「人は悟るときには悟るもんだ」っていう考えは何にも代え難いモノなんじゃ無かろうか。額に皺寄せて、真面目な顔して真面目な事を言っていたから、凄いモノが出来てくる訳じゃあ無い。単に譲れないモノを譲らずに進んで行くからこそ、他人とは違ったモノが見えたり、異なった考え方からの発想が出てきたりするんじゃ無いだろうか。アイデアに貴賤はなく、汗水垂らすのが至上のことでもない。「働かざる者食うべからず」ではなく、「一日為さざれば一日食らわず」と言った感じに考えるのが良い道に思える。
日本の宗教を軸に徒然と書き殴っていて一つ思い出したエントリがある。→浄土真宗系の成り立ち:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd日本的発想の流れってこういう無茶なモノを含むモノなんじゃないかなあ。

6:52追記
直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。 - My Life Between Silicon Valley and Japanここなんかで望夫さんが言っている事も合わせて、皆でもっとネタにしても良いのかもしれない。望夫さんの周りでじゃなくても良いんだが、色々拡大解釈して試してみるのも面白いんじゃ無いかな。
今回上のエントリを書いていて思い出したので久しぶりに読んでみたが、この頃から余り言っている事は変わってないんじゃないかなって思えた。

8:39追記
wikipedia:慧能wikipedia:神秀もついでに貼っておく