転がす論理

今の世界は転がすネタに対してOpenで有ろうとしている。それはそれで正しいのだろう。そのようになっていなければ、「転がして儲ける」機会というモノは、それなりに不平等なモノになるのだろうから。では、その転がす、っということ自体を肯定することと、上のように「転がせば儲かる事をOpen にすること」と言うのは対比として取り上げられるべき、二律背反なのであろうか。なんか違う気がする。どちらにしろ、「変動する」っと言うことにアンテナをあげておかなくてはならないのは変わりないし、それを見ている時間って有る意味「無駄」な時間ジャね?まあ、儲けたくないなら降りれば良いという論理は成り立つのだろうけど、それも「自分の作った土俵」に皆を乗せる形にみえるのだけれどな。
まあ、土俵の数まで規定するつもりは無いけれど、「土俵にのらない人は負け」っていうシステムは土俵作りの人にとても有利な話だと思う。