現代将棋

先日の竜王戦の時に過去の梅田さんblogで面白いモノが有ったなあと思い、ブクマなどから探しに行った。前回は米長邦雄「人間における勝負の研究」 - My Life Between Silicon Valley and Japanを引用したが、こちらは偶然見つけたモノで、探していたのはこちら。現代将棋が表現する思想 - My Life Between Silicon Valley and Japan。ここのなかの「創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。」という部分が前回のエントリで書いたアクセルの部分やジャングルでの野戦の部分にマッチした言葉だと思ったので参照したかったのだ。見つけてみて思ったのはここでの主題の一つが「現代将棋」という呼び方で呼ばれていることだ。今回の竜王戦で使われたこの言葉は、こちらのエントリの中で「知識の雪だるま」と呼ばれているモノを使用している戦法ととらえることが出来ると思う。しかし、梅田さんのエントリ内での現代将棋というモノはそれを前提とした上で、「新しいモノ」を生み出す事にこそ焦点を当てているモノのように読める。だからどうしたという訳ではないが、少し書いておきたくなったのでまとめてみた。
前回でも少し書いたが、羽生さんの手というのは序盤、終盤を問わず悪いという表現をされることを観る機会が多くなった。序盤に関しては今回の竜王戦しかり、その挑戦に至るまでの決勝トーナメントの中でも何度か出ていたと思う。終盤に関しては渡辺竜王とその他若手の方々の座談会の中で「最近終盤でも間違える事がある」と言った意味で話されていたと思う。(将棋世界の今年の号のどこかだったと思う)これらの所というのは、間違えているという訳ではなく、抗しても悪くは無いのではないかという構想から出てきているモノなのでは無いだろうか。

良い手を探すのでは無く、悪くない手を探す

「今良い手は、10年後の最悪手です」という言葉が100年インタビューの中で語られていた。これが良い手だからという形でそれを使い続けていると、思わぬところで悪手を打ってしまう事になる。このことはとても大事な事だと思う。これが良かったからという考え方では無く、これならば悪くないだろうという考え方で物事を決めていくという事は何事にも応用できる考え方だと思う。めんどくさそうだが。